ボートショー

最近はあまり海にも行けてないですが、思い出す意味も込めてボートショーには毎年行きます。

いくつかのブースで楽しく談義させて頂いたり、気になっていたカヤックやディンギーについて質問したり。

Tadamiさんのブースでは小さいものですが作品を1つ購入させて頂いて、サインも。

買おう買おうと思って買えないでいた本「ブルーウォーターストーリー」も購入。

思っていたよりも色んな方とお話が出来て時間が過ぎてしまい、今年はベイサイドマリーナに行けませんでした。

でも、海な雰囲気は十分に満喫できました。

今年はできるだけ海に出たいなあと思います。


金額

趣味を始める際に「これだけのお金を使ったのだから簡単には止められない」と思うので、高額な道具などを揃えた方が良い、という趣旨の話をよく聞きますが、個人的にはそんなことはありません(笑)

心変わりというのは成長の証でもあります。知識や経験を重ねることで、そうなって初めて見える別の道や新しい考え方が出現します。

続ける、という事はとてもとても大切な事ですが「せっかく〜したんだから、してきたんだから」が理由となってそれを止めたり新しい事を始めるのを躊躇するのはもったいないのではと思います。

逆に言えば使う金額は止めない理由にはならないので、気にせず好きなものを選ぶと良いのではと思います。


変遷

キャリアが長い、という事の良い点の1つが

その時々の環境、価値観を実際に体験しながら変化に対応してきた

という経験だと思います。

10年経てば様々な事が変わってしまいます。その10年の変遷を全て経験し積み上げてきた事で、例えば急に10年前と同様の環境での作業をしなければならなくなっても当時よりも良い対応ができるはずです。

10年前も、今も知っているからこその対応力です。

経験値だけはお金では買えません。

とても貴重です。


飽きる

趣味で写真を撮っている人で、時々聞くのが

「撮影するのに飽きてしまった」

があります。

飽きてしまった理由は人それぞれですが、その1つに

「撮りたいものがなくなった」

があると思います。

これは、取り敢えずその時に「手軽に」撮れる被写体を撮っていたからではないかと思います。

ようは特に撮りたいわけではない被写体。

それだと、撮れる物を一通り撮ってしまうと、やることが無くなってしまうのも無理はありません。

そういう方にお話するのは

「撮りたいと思う被写体を見つけましょう」

です。

撮りたい被写体であれば撮るまでの過程にも難しさがあるでしょうし、写真そのものも「より良く撮りたい」という欲求もあるはずです。

そう簡単には飽きないでしょう。

「撮れる、ではなく、撮りたい」

を考えると良いかなと思います。


引き継ぐ

古いフィルムカメラを中古で購入し、それをまた売りに出す。

特に電子機器を搭載していない古いカメラは、しっかりとメンテナンスをすれば人の寿命よりも長くその役割を全う出来ます。

そのような時間の流れの中で、人の役割はそのカメラを前の人から次の人に引き継ぐ事。

柊サナカさんの「谷中レトロカメラ店の謎日和」でもそういったお話が描かれています。

自分が売る時も「自分も大切に使ってきたので次の人にも大切に使って欲しい」と青臭いですが純粋な気持ちになります。

雄大な時間の流れを身近に感じられる瞬間です。


立ち位置

他の人には撮れない、自分ならではの写真。

それはその人の人生の立ち位置そのものです。

育った環境、自立後の過ごし方、出会った人々、培った価値観、そういった事すべてが形になったものが今の自分なわけで、それを活かした写真がきっとオリジナルなのだろうと思います。

逆に言うと、他の人の立ち位置をただ羨んだり妬んだりしても何も良い事は起こらないのだと思います。

全ての写真はセルフポートレイトに等しい

という言葉がありますが、本当にそうだな、と思います。


CP+

CP+に行く理由は皆さん色々あると思います。

私は、普段お世話になっているカメラマンさん、メーカーの方々などへのご挨拶と「普段使っていない」メーカーの製品の勉強が主な目的です。

せっかくカメラ、ストロボ、三脚などの主要メーカーが勢ぞろいしているので、興味はあるけど使っていない会社さんにあれこれと質問させて頂いて情報を入手しています。それをきっかけに購入する事も十分あり得ます。

年に一度のカメラのお祭りなので、色々と楽しみたいですね。


トウキョウドキュメンタリーフォト2017」に行きました。

在廊されていたカメラマンさん達から、貴重な現場のお話を聞く事ができました。

自分ならではのスタイルの確立も大切だなと感じました。


HOMME LESS

ホームレス ニューヨークと寝た男」を観ました。

自由奔放なのか、うだつが上がらない中途半端な生き方なのか。

観る人によっても印象が違うのだろうなと思います。

個人的には、羨ましくはないかな(笑)

ちょっと哀愁を感じてしまいました。


メインカメラ

「メインカメラ」「サブカメラ」という言葉をよく耳にします。

本来は、よく使うのがメインでそれの予備がサブのはずなのですが、趣味でカメラを使っている人の場合は

高価で大きなカメラをメイン

小さく安価なカメラをサブ

と呼ぶ事が多いです。

でも、大きいカメラは面倒だから持ち歩かず、つまりあまり使わず、小さいカメラを持ち歩いてよく使うのなら言い方は逆だろうに、といつも思います。

精神的には大きくて高価な方をメインと呼びたい気持ちはわかりますが(笑)


簡単

時々、性能の良いカメラについて

「簡単に写真が撮れてしまってつまらない」

という趣旨のセリフを見聞きします。

でも、それは

「このワープロソフトは文字が簡単に打ててしまってつまらない」

と言っているのと同じではないかと私は思うのです。

誰のためにどのような文章を書くのが良いのかを考えて、それを何度も加筆修正してよりよいものにしていくのがワープロソフトを使う目的とするならば、文字を打つという行為はできるだけ簡単であって欲しいはずです。他にやること、考えることが山のようにあるからです。

撮影も同じで、なにをどのように撮りたいのか、についてより良い日時、場所、構図等考えること、準備する事等山のようにあります。その時自分が撮りたいと思う写真を出来るだけ簡単な手間で撮り、写真を撮るという行為以外の部分を出来るだけより良いものにしなければなりません。

なので、そのような事を私に言われた時は

「たぶん、本当に撮りたいと思える被写体にまだ出会えてないのではないでしょうか」

と聞くようにしています。

より良い写真にしたいと思えるような被写体であれば、そうするためにはどうすればよいかと考え、あれこれと試行錯誤し続けるわけで、写真を撮るという行為自体は出来るだけ簡単であって欲しいと思えるのではないかなあと考えます。

 

もちろん、カメラの楽しみ方なんて人それぞれなので、その人が楽しいと感じる事が一番大切です。


別物

撮影する人にとって、使用するカメラによって精神的な違いがあるのは当然だと思います。

自分を鼓舞してくれるカメラがあるとするならば、それはとても幸せな事です。

でも、それは撮る人にとって、なのであって撮った写真を見る人には関係がありません。

見る人に対して「〜を使って撮りました」が写真そのものよりも先に来るのであれば、それはもう撮影という行為の目的自体が別物なのだと思います。

そういう楽しみ方はもちろんあって良いと思います。

でも、別物だと私は思います。


四流

志のある三流は四流

やるべきこともやらずプライドが高いだけの評価の低い奴はタチが悪い、という事ですね。

以前とある映画監督さんが

根拠のない自信だけしかなかったあの頃を思い出すともう本当に怖くて絶対に戻りたくないと思う

と言っていたのも思い出します。

 

自戒。


時流

今日はニコンについてネガティブな情報が伝わってきました。

多くの人がスマートフォンで事足りる今、デジタルカメラは「生き残り」と表現されるような努力が求められているのでしょう。

フィルムからデジタル、そしてカメラからスマートフォン、どんどん時代が流れていきます。

それは撮影を生業としているカメラマンも同様に考えなければならない事です。

時流を見定めてどのように自分を変化させ続けるべきか、常に考えなければなりませんね。


卒業

スマートフォンなどからもっと高価なカメラに移行したいと考える理由の1つが「ボケ」だと思います。

肉眼ではそのように見えない事もあり、ピントの合っていない部分がボケている写真は印象も良いでしょう。

カメラ購入の相談を受ける際にも「背景がボケている写真が撮りたい」とおっしゃる方は多いです。

もしそれが最初の目的であれば、どんどん撮ると良いと思います。

十分に楽しんで頂きたい。

でも、個人的には

ボケている写真がボケていない写真よりも良い、というイメージはなるべく早めに卒業して、どちらも並列的な選択肢の1つと考えられるようになって欲しい

と思います。

何をどんな風に撮りたいからボケさせる、ボケさせない、という風に考えらえるようになると良いなと思います。


カメラやレンズを変える事で写真が変わる、と言われています。

もちろん物が違えば、必ず何かしらの差はあります。

でも、一番大きく差が出るのはやはり「撮影する人」だと思います。

人が変われば、たとえ同じ機材でも、上がってくる写真はかなり違います。

そういう意味では、機材を変える前に自分をどれぐらい変えられるのかを考えるのもとても大切だと思います。

同じカメラを使って複数の人が撮影した写真を展示する類のイベントでその写真たちを見るたびに、そう思います。


違い

googleで、「portrait」で画像検索すると、老若男女様々な写真が出てきます。

ちなみに「ポートレート」で検索すると、ほぼ若い女性の写真になります。

日本における「ポートレート」という言葉の使われ方がよくわかります。

若い女性が写っている写真のニーズがあらゆる意味でとても高いのでしょう。

もちろん若い女性の写真がいけないなどとは思いませんが、少し寂しいなと思っています。

それぞれの性別、それぞれの年代にそれぞれの魅力があります。

それを十二分に引き出せるカメラマンでありたいと思います。

 


間違い

先日、お世話になっている会社の営業さんと3月のスケジュールの話をしている時に私が間違って2月のカレンダーを見ながら話をしていて

「あ、すみません、2月を見ながら話していました。3月ですと〜」

と言ったら

「あ、私も2月を見ながら話していました」

と、おっしゃいました(笑)

曜日が全く同じなんですよね。

なんか、毎年やってしまっているような気がします。


腕組み

以前「人と対面している時に腕組みするのは、精神的に相手に対して壁を作っているという態度の表れである」という話を聞いて、それ以来腕組みをしないように心がけています。

でも、冬の寒い屋外だと、寒さを凌ぐためについつい丸まりたいという行為の延長で腕組みをしてしまう事があります。

気づいてすぐにやめるのですが、

いや、寒いからであって壁とかじゃないし

と声に出さない言い訳をしています。

早く暖かくなってほしいですね。


勝ち負け

「あんな奴なんかに絶対負けない」

試合であれば、相手との勝ち負けは明確にわかります。

試合ではなく、人間力だったり、人生だったり、的な事となるとそもそもの基準がないわけで。

勝っていると思うのなら勝っているのだろう、みたいな事で。

そもそも「勝ち負け」という価値観が間違っている、のかもしれない。

でも、「あんな奴なんかに」という思いは存在する。


視点

数年前、偶然知り合ったアメリカ人のフォトグラファーから、彼が日本で撮った写真達を送ってもらった事があります。

当たり前のように普段見慣れている場所達なのに、写っている風景や人、物が別物に見えます。

その場で感じている事が違うと、捉えたいと思う構図も違うという事ですね。

見慣れているからといって撮り尽くしたわけではない。

怠けず、言い訳せず、もっともっとアイディアを生み出さねばと思います。


秘める

とても気に入っているドラマがあります。

役者も、脚本も、演出も。

以前はその気持ちを共有したいなどと思いSNSに書き込んだものですが、もうしていません。

最高だ、という私の思いは私にしか理解できないし、それは自分で噛み締めていればいい。

十分幸せ。

自分の中に秘めて、楽しみます。


理想型

これはカメラに限った事ではないと思っているのですが

「初心者ほど理想的な環境、機材に囲まれて作業すべき」

と考えます。

作業する人間の能力がまだ高くないうちは、環境や機材がそれを補ってくれると習熟もスムーズですし、なにより

「何が理想なのか」

を体感できる事が大切だと思っています。

理想的な状況を理解していれば、そうではない環境や機材しかない状況になっても向かうべき方向は解りますし、それが解っていれば「どう補えばそっちへ進めるのか」を見定められます。

逆に、近づくべき理想型が解らなければ、何をする事が補う事になるのかさえ分かりません。

よく、熟練の人が理想的ではない環境でも工夫する事でより良い成果をあげたりしますが、それは何が理想型なのかを経験して理解しているからだと思います。

見学するだけでも違うと思うので、出来るだけ理想的な環境、機材に触れて欲しいなと思います。


徒労感

あの努力達は何だったんだろうか、という徒労感を感じることが時々あります。

でも、それは主観的な事であって、そもそも「努力」だった時点でやるべき事ではなかったのかもしれません。

心に描いた通りにならない事なんていくらでもある。

自分に負けるな。自分を嫌になるな。


無料

People love your work until they have to pay for it.

という言い回しがあります。

SNSなどに写真を投稿して多くの「いいね」がもらえたので、それを商売としてやってみようかと考える人はとても多い印象ですが、「無料で観れるから素敵だなと思っていただけで、お金を払えと言われるなら別に観なくていい」となってしまう事も多いのではないでしょうか。

無料での評価や人気と、お金を支払う対価としての価値は根本的に違うということですね。

他のコンテンツの売り上げに繋がるという理由で無料で提供されるコンテンツが非常に多い事もあり、この2つを(時にはわざと)ごちゃ混ぜにして話をする人も多いです。

有料でも愛してもらえるのか。

基準の1つとして持っていて良いと思っています。

 


要件

先日、5Dを肩からぶらさげて歩いていると、小柄な女子が並走してきて

あの!写真やってるんですか!私もやってて!

と話しかけて来ました。

歩行速度を変えずに

はい、やってますよ、で、本当の要件は?

と微笑みながら言うと

え、あ、と、実は私〜

みたいなことになり、要件を伺ったのですが、そのままお断りさせて頂く事に。

ちょっと面白かったです(笑)


常連

カメラに限らず、何かの趣味が好きな人たちが集まるバーやカフェは数多くあります。

実は私も、写真好きが集まるバーを経営してみたいな、などと密かに思っています。

でも、実は私はこういった趣向のカフェやバーには正直あまり良い印象がありません。

一部の常連客が我が物顔で占拠し、内輪話を大声で話し、一見さんや来て間もないお客さんたちを上から目線で扱うような場所がいくつもあります。

残念ですし、興ざめですし、そうやって新しく入って来ようとする人たちを遠ざけてしまっています。

ただ遠ざかるだけでなく、嫌いになってしまう人がいても全くおかしくありません。

そんな事にならない、幸せな空間を提供できたらな、と密かに思い続けています。


理由

写真に撮られるのが苦手という人がいらっしゃいます。

そのように思うようになってしまった理由は様々だと思います。

そして、その理由の1つに、撮影する立場の人の言動があるのではと思っています。

何か、撮られる事に対してネガティブになるような事を言ってしまったり、やってしまったり。

もしそうだとすると、とても残念だなと思います。

そして私も、そのような事をやってしまっていないだろうか、と考えます。

写真を撮る理由も撮られる理由も様々ですが、そういう場では出来るだけ素敵な表情を捉えられるようにあらゆる事に気配りをしなければと思います。


辛い

随分前の事です。

とある公園をカメラをぶら下げながら歩いていました。

遠くに小学校前や乳児ぐらいのお子さんを連れたお母さん方の集りが見えました。

平日の昼間だったので憩いの場なのかな、ぐらいに眺めていると、その中の一人、キャップをかぶっている女性がこちらをじっと見ました。

そして、かぶっているキャップを改めて深々とかぶりなおし、こちらに背を向ける方向に体を動かしました。

まだかなり距離があったので、思い違いかな、とも思いました。

通り道だったので、そのまま近づいてその女性の近くを通り過ぎました。

多くの人が知っているであろう、有名な女優さんでした。

こちらに背を向けてはいましたが、ほかのお母さんたちとの会話の声でわかりました。それぐらい有名な方です。

恐らく、私がぶら下げていたカメラに反応して、撮られまいという行動だったのだと思います。

お子さんもいらっしゃる場なので、神経質になるのだろうなとは理解できます。

でも、私の思いとしては、

あんな遠くにいた、だカメラをぶらさげていた男性にさえ反応しなければいけないような事が過去にあったのだろうか。

でした。

有名人ですから、プライベートでも様々な事があるであろう事は想像できます。

写真を撮られる事だけでなく、嫌な思いをしなければならない事もあったのでしょう。

 

そのような日々を過ごされているのだとしたら、それはとても大変だし、辛いのではないかな、と思いました。

有名人の大変さを垣間見た出来事でした。


気配

小池英文写真展「瀬戸内家族」

その場を撮影するためにカメラマンが存在すると、どうしてもその場の人たちがそのカメラマンを意識してしまいます。

でもご家族や親戚という立場だと、カメラマンが撮影しているという事を意識しなくなります。

その場にいるのが当然の人による撮影。

そうなって初めて現れる表情、行動、雰囲気。

「内側」から撮っている写真たち。

家族や親戚ではない人たちを撮る場合でも、そのように感じてもらえるようなカメラマンでありたいといつも思っています。

写真展は今月23日まで。