PHOTONEXTの会場で、ひょんな事からお仕事案件を頂いたり、

久しぶりに知り合い(アメリカ人)と会いに出たら、海外案件を提案してもらったり、

私のフォトプロジェクトの一環でお邪魔した場所で、別の撮影の案件を頂いたり、

動くから会える、会えるから話せる。

とても大切です。


ショッキング

先日、とある学生さんにデジタル一眼レフカメラをみせていたところ

 

シャッターはどれですか?

 

と聞かれました。

スマホの画面の端に現れる、丸いアイコンしか知らないのでしょう。

なにかしらのカメラを構えている図すら見た事がないというのはそれなりにショッキングでした。

でも、これからその比率は上がる一方なんですよね。

この1つの質問から、様々な思いが現れては消えていきました(笑)


以前、出張で新幹線に乗ったとき、私の座席に行くと女性が寝ていました。

小心者の私は、自分が便を間違えてないか、車両を間違えてないか、座席を間違えてないか、何度も確認して(笑)間違いない事を確信して、女性を起こしました。

すると、やはり女性が1列間違っていて、とんでもなく低姿勢に謝罪を頂きました。

こちらもさほど迷惑というほどの事ではなかったので、いえいえ、という感じで席に座りました。

基本はネガティブな事ではありますが、印象としてはちょっと幸せな気分な出来事でありました。


こうしたいなと思うイメージに合うように、構図を決めましょうとか現像しましょうとかという話がありますが、写真を撮り始めたばかりの初心者の人だとそもそも「目指すイメージ」があまり無いのが普通だと思います。

基本的には今までの自分の経験から導き出す類の事なので、出来るだけ様々な種類の撮影、現像を体験して蓄積する事で描くイメージも具体的に出来るのだと思います。

当初は素敵だなと思う写真に出来るだけ似せるにはどうすればいいか、という手段も良いと思います。

それを積み重ねて、様々なイメージを実際に具現化させて、その次に「自分が」目指すイメージを追い求める感じでしょうか。

そういう意味でも、初心者の方々には出来るだけ色んな体験をしてもらえるような場を提供したいなと考えています。

 


後ろ

私が車そのものにさほど興味が無いという事もあるのだと思いますが、高価な車を買って運転する事に関心がありません。

特に「自分はお金を持っている」というアピールをするために高価な車を買って運転するというのがピンと来ません。

自分の中では、というか私の周囲にいる凄いお金持ちの方々は皆、自分では運転せず、運転手さんがいてご本人は後部座席に座っているからです。そういうアピールが目的なのに、自分で運転しちゃうのはどうなんだろう、と。

なので、もしそういうアピールが必要なら、高価な車種のハイヤーで乗り付けた方が効果的だと思っています。

今のところ、そういうアピールが必要な場面は人生にありませんが(笑)


狭い

数ヶ月前、とある写真関係の会社の方と知り合いになりました。

その際に銀座でフォトプロジェクトをやっている事をお話ししました。

先日、その方とまたお会いした際に

「私の知り合いでタイ人の人がいて、その人がFBでスキャナ比較の記事をリンクしていたのですが、その記事で使用していたサンプル写真が小池さんだったんですよ。」

その写真は、以前銀座で会ったスイスの方がハッセルで撮ってくれたもので、後日わざわざプリントを送ってくれたものでした。

その人のwebサイトのURLは教えてもらっていましたが、ブログの各記事は見ていなかったので上記の投稿は知りませんでした。

巡り巡って繋がった感じです。

世界は狭いです(笑)


大丈夫かな

銀座で記念撮影を頼まれて、カメラを受け取ってちゃんと撮りたかったのでマニュアルモードにして撮影。

写真を見せたところ想像以上に喜んでもらって、よかったよかった、と別れる。

あ、モードをMのまま返しちゃったけど。

大丈夫かな。


眺める

胸ポケットのあるシャツを着ている時はスマホをそこに入れるので、なんとなく手持ち無沙汰になると取り出しては見る、をやっています。

でも、ポケットが無いシャツの場合はスマホがもっと取り出しにくい場所にあるので、無駄に取り出す事をしなくなります。

手持ち無沙汰なので車内を眺めます。

非常に高い確率で皆さんスマホを見ています。あとは本とか。

何もせず、車内や車窓を眺めている人ってあんまりいないんですよね、近頃は。

そんな事にも気づくので、たまにはスマホを取り出しにくい所に入れるのも良いかと。


何故、今

稀に、2014や2015にSNSに投稿した文章にいいねをもらう事があります。

もちろん頂くのは嬉しい事なのですが、何故、今、そんな昔の文章や写真を見たのかな、そもそもどうやって見つけたのかな、とか。

でもわざわざ聞くのもかなりわざわざ感なので、もやもやしたままです。


残念

食事をするお店で、稀にではありますが、我々客が食べている前で部下を叱る上司がいます。

当然ですが気分が悪い。食事も不味くなる。

食事がどんなに美味しくても、そういう事を気にすることの出来ない店には二度と行きません。

それだけはやってはいけない事、だと私は思うのですけどね。


イライラ

インスタで、時々いいねしてくださる方が、とあるカメラで撮っているとプロフィールに書いていて、その写真たちを見たいと思ったのにアカウント名が分からない。

自分が投稿した写真にいいねしてくださっている方々から手動で探るも、見つからない。

イライラ。


悔しくない

圧倒的な差を見せつけられると、悔しいとか追いついてやるとか考えなくなります。

それはある意味絶望なのかもしれませんが、そういう意欲が全く湧かないような状態。

積み上げた年月、積み上げた努力、積み上げた熱量。

どうにもならない。

その差を出来るだけリアルに受け止めつつ、自分がやりたいこと、出来る事をやっていくしかない。

 


きてない

先日カメラのセミナーをさせて頂いた際、少しだけ引き気味な写真を見た時に

「あれ、これピントがきてないですね。」

と言って等倍にしたところ、やはりピントが合っていませんでした。

すると、参加されている方が

「あの状態でそれが判るんですか?」

と少し驚かれていました。

自分的には割と明らかに合っていなかった写真だったのですが、見慣れていない人には判りづらいのだなと改めて思いました。

こういう感覚のズレを認識する事も大切ですね。


チェキだし

正方形チェキが発売されて話題です。

基本デジカメなのでデジカメとしての評価をする事自体は別に良いと思うのですが、チェキである事が大前提だと思うのです。

なのに

Wi-Fiはないのか、USBでデータは送れないのか、などなど、普通にデジカメとしての要望が散見されます。

だったらデジカメ買えばいいのに、と思います(笑)

チェキを使うつもりがない人には不要なカメラ、ですよね。


それとは違う

写真をベースにして、複数枚の写真を重ねたり歪ませたり切り取ったり様々な加工を施して目的の画像を造る事は可能です。

でも、それは「絵」とは根本的に違うんじゃないかな、と思います。

鉛筆でも筆でも、風景をモチーフにして自らの手で描いていく絵には「写実的ではない」素晴らしさがあると感じます。

実在するパーツを重ねたり加工したりするのは、根本的にやっている事が違うのではと思います。

羨ましいというとまた少し違いますが、全く別の魅力を感じ、とても素敵だと思います。


狭い

先日銀座で会った建築物を撮っている海外のカップルさんと、今日渋谷でまたバッタリ。

あちらは観光、こちらは仕事帰り。

なんか狭いなあと(笑)


下手

話に一本スジが通っておらず、話題がポンポン飛び回る。

文章をある程度で区切る事なく永遠に1文章のように話し続ける。

本筋だけ話せばいいのに「こういう可能性もあるにはあるんですがそれは今置いておいて」みたいなエクスキューズを本筋を妨げるように沢山突っ込む。

 

説明能力というのは誰にでもあるものではないので、無い人は精進して能力を身につけて欲しい。

話したい内容を話したい様に話すのは説明ではない。


その通り

以前テレビでとある俳優さんが

売れている人は常に批評され、売れなくても良いなどと言っている人は常に誰かを批評している

という趣旨の事を言っていました。

本当にその通りだなと思います。

その方も「常に批評される側でありたい」と言っていましたが、そうあるべく精神的に精進せねばと思います。


素直に嬉しい

カメラやレンズやフィルムやデジタルやらは関係なく、

あなたの写真が素敵です。

と言って頂けるのは本当に嬉しい。

1人でも多くの方にそういう印象を持って頂けるよう頑張りたい。


ちょっと意外

仕事でとある観光地へ。

修学旅行生がひっきりなしに訪れていました。

しばらく見ていたのですが、写ルンですを持っている子が想像以上に多かったです。

そして、その観光地の複数の売店でも写ルンですが売られていました。

チェキと写ルンですは売り上げ好調と聞いていましたが、その片鱗を垣間見た気分でした。

そういえば、もうすぐ正方形チェキ発売ですね(笑)


実は楽

とあるグループの中で自分の現在の能力が客観的に見て低いレベルであると、変な勘違いをして自信過剰になる事もなく、目指すべき高いレベルの人たちを間近で見れて効率よくレベルアップも測れます。

もちろん事あるごとに劣等感というか、自分のレベルは低いなという現実を叩きつけられますが、自分のレベルアップが目的ならば、そういう環境は実はとても楽な場所だと思います。

身の程をわきまえつつ上を目指す。

出来そうで難しいです。


遅過ぎない

この歳になって「こんな事も知らなかったのか」と自分の無知に落ち込む事があります。

でも、落ち込んだところで知らなかったという事実が無くなるわけでもなく。

知る事が出来た事に感謝して、その知識を今後に活かす。

知らないままより良い。

何かに接する事も、何かを始める事も「遅過ぎる」という事は基本的には無い。

 


もっと凄い人たちがもっと凄いレベルで既にやっているから、こんな程度でやっても評価はしない。

という言い分は基本正論だとは思うのです。

凄いレベルじゃないのに凄いレベルをなぞろうとしている図は、特にそう思います。

でも、別のレベルにいるから出来る別のレベルでの表現もあるんじゃないかな、とも思うのです。

それらを一括りにして「くだらない」と切ってしまうのは違うんじゃないかな、と。


銀座でお話を聞くと、時々日本をとても褒めて下さる方がいます。

それはもう最上級の褒め言葉で。

とても光栄に思うと共に、その方がそのように思ってくれるような事をしてあげた人たちにもありがとうと伝えたいです。

そして私も、そのような人たちの1人となるべく誠実に接していきたいと心から思うのであります。


それまでの事

プロモーション能力に長けている人が、それによって話題になるのはよくあることで。

上手いなあと思う事もしばしば。

でも、それによって話題になったので、内容が追いついていない事もしばしば。

時間稼ぎをしてその間に追いつく努力をするのなら分かりますが、そうでないならかなり短命。

刹那的な方法だと思っています。

 


甘受

展示している写真を観ている人が、写真を観る事は早々に切り上げて他の事(カメラやレンズを聞いたり思いっきり近づいて解像感を確かめたり)をしだしたのなら、その人にとってはその写真はあまり観るに値しないのだという事実を甘受すべきだと思っています。

自分が写真展に行って写真を観ている時もそんな感じですし。

様々な人たちの様々なリアクションを拝見したり、可能ならお話を聞いたりして自分の写真への糧とさせてもらえるのも写真展の魅力の1つです。

ただ、それは「気に入られる写真とは」を考えるのではなく「伝わる写真とは」を考える機会だと思っています。

伝わった上でそれを受けての皆さんがどう感じるかはそれぞれですが、そのためにはまずはこちらの意図が伝わらないと話が始まっていない事になります。

日々精進です。


譲って頂く

(作家さんに)「作品を譲ってもらう」

というフレーズの時の「譲る」は「購入する」事で、でもお金を支払う事よりも「入手させてもらう」事の方に重きを置く無粋にならない言い回しだとずっと思っていました。

実際私の周りでもそのように使われてきていました。

でも「作品を譲ってもらった」と言うと「え!もらったの?」と言われる事が最近続いて、あれ、そうでもないのかな?

と思っている今日この頃。

個人的にはこの「譲って頂く」という表現、上品でとても好きなんですけどね。


目的

何の為に写真を撮っているのか。

私にとっては、誰かとのコミュニケーションです。

やりとりをする事を通して、素敵な写真を撮りたい。

なので、人を撮っているにも関わらず、相手に撮っている事を伝えない類の写真には興味がありません。

何らかの信頼関係の上に成り立つ写真。

仕事でも、パーソナルなフォトプロジェクトでも、それが根本にあると思います。


懐に優しい

六本木のフジフイルムスクエアで正方形チェキを見てきました。

背面液晶で撮った写真の確認、エフェクト追加や削除が出来て、ファイルはUSBにコピーも可能だそうです。

写真にしたいファイルだけ選択して命令。

以前、ドキュメンタリーカメラマンさんの写真展に伺った時、途上国で子供達をチェキで撮ってあげると、とても喜ばれるとお話されていました。ただ、相手と自分用に2枚ずつ撮っていくと結構な金額なんですよね、とも。

SQ10なら、自分の分は必要ないし、出す前に確認出来るので失敗した写真も無くなります。

そういった使い方だと出費が抑えられるな、と思いながら本体から写真が出てくるのを眺めていました。


2Lでいいから

自分で撮った写真をプリントした事がない人、最近は結構いると思います。

PCやスマホで見れちゃいますからね。

でも、2Lサイズでいいから、もちろん量販店とかにある機械でプリントするやつで十分なので1枚プリントしてみるといいと思います。

写真の印象が結構変わると思うのです。

データと「物」の違いは体験しておいて損はないと思います。